この美しい世界は黄色だ この無臭の世界が甘くなり
神聖世界を揺るがして 衆生の心かき乱す
この神聖世界は黄色だ この無臭の世界はおいしい
神聖衆生を揺るがして 神聖衆生を苦しめる
味覚の記憶が戻ったら 神聖衆生落っこちる
地の味が水中に固まり 蜂蜜のような味覚があり
苦しみの因 生ず
貪り強い衆生が現れ この地の味をちぎりむさぼる
多くの衆生が巻き込まれ 神聖世界かき乱れ
衆生はこれで光をなくし 粗雑なものが身に現れる
綺麗さ醜さ現れる 差別の心現れる
光をなくした衆生は 神聖世界まっさかさ
味覚は衆生を楽しませる 味覚は衆生を下向させる
苦と三著は 表裏
神聖世界を揺るがして 衆生の心かき乱す
この神聖世界は黄色だ この無臭の世界はおいしい
神聖衆生を揺るがして 神聖衆生を苦しめる
味覚の記憶が戻ったら 神聖衆生落っこちる
地の味が水中に固まり 蜂蜜のような味覚があり
苦しみの因 生ず
貪り強い衆生が現れ この地の味をちぎりむさぼる
多くの衆生が巻き込まれ 神聖世界かき乱れ
衆生はこれで光をなくし 粗雑なものが身に現れる
綺麗さ醜さ現れる 差別の心現れる
光をなくした衆生は 神聖世界まっさかさ
味覚は衆生を楽しませる 味覚は衆生を下向させる
苦と三著は 表裏
解説
マンジュシュリー・ミトラ正大師の代表曲。
【評価】 曲○/歌詞◎/知名度△/総評:修行者向け
【詳説】
この美しい世界は黄色だ まず初めに舞台設定。これはおそらく天界(=神聖世界)のお話だろう、と考えながら進めます。この部分の「色」は存在するすべての物質的現象を指す「色」。物質(色)にとらわれた衆生の世界(色界)を示唆していることがわかればよいでしょう。(色界は天界に含まれる構造)
...世界が甘くなり 天界は快楽に満ち、苦しみがない。しかし、天界といえども六道の一つに過ぎず、天人は解脱者ではない衆生である。したがって煩悩が存在する。(悟り・解脱することで初めて煩悩から解放される) ...衆生の心かき乱す そしてここで煩悩にとらわれる衆生が描かれていることがわかる。
この美しい世界は黄色だ まず初めに舞台設定。これはおそらく天界(=神聖世界)のお話だろう、と考えながら進めます。この部分の「色」は存在するすべての物質的現象を指す「色」。物質(色)にとらわれた衆生の世界(色界)を示唆していることがわかればよいでしょう。(色界は天界に含まれる構造)
...世界が甘くなり 天界は快楽に満ち、苦しみがない。しかし、天界といえども六道の一つに過ぎず、天人は解脱者ではない衆生である。したがって煩悩が存在する。(悟り・解脱することで初めて煩悩から解放される) ...衆生の心かき乱す そしてここで煩悩にとらわれる衆生が描かれていることがわかる。
3~5行目 では味覚にとらわれた衆生の心の状態が低くなる様子がわかります。なぜ「味覚」なのかはわかりませんが、ここでは煩悩・執着の代表として解釈してみましょう。(色界は淫欲と食欲を超越した世界。しかし、物質的条件(色)にはとらわれる、ということでその代表として「味覚」なのかもしれない。)
地の味が水中に固まり... 地の味が...水中に...固まる?(不明) 蜂蜜のような味覚 はやはり物質的条件(色)と考えます。 苦しみの因=煩悩 はわかりやすい。
貪り強い衆生が現れ ...神聖世界かき乱れ 物質的条件(味覚)への執着心でかき乱される天界・色界の様子。
10~12行目 では天界から人間界へ落ちる場面が描かれています。
味覚は衆生を楽しませる 味覚は... ここまで来ると 「味覚」=物質的条件(「味覚」=色)と解釈するほうが納得がいくように感じられます。
苦と三著は 表裏 「苦」とは空しい、不満、不安定といった意味です。「三著」は著心、つまり執着心のことです。これらが表裏の関係である、と言っているのです。(苦をなくすには執着いるし、執着をなくせば苦が生ず)この表裏を脱出するには解脱しかないのです。
【感想】
というわけで「味覚の歌」、非常に難解な歌詞でした。ここまで難解な世界観を歌詞にしていることを考えれば、作詞はおそらく村井氏であると想像できます。さすがは宇宙人村井秀夫。そして、最後のところに「解脱しかない」というメッセージが込められていることには驚きです。しかし普通理解できない。なぜ「味覚」なのかが何となくでも理解できれば十分でしょう。
というわけで「味覚の歌」、非常に難解な歌詞でした。ここまで難解な世界観を歌詞にしていることを考えれば、作詞はおそらく村井氏であると想像できます。さすがは宇宙人村井秀夫。そして、最後のところに「解脱しかない」というメッセージが込められていることには驚きです。しかし普通理解できない。なぜ「味覚」なのかが何となくでも理解できれば十分でしょう。